アインシュタインが残した言葉の秘密
アインシュタインといえば
E=MC2
ですよね
この法則、学校ではこう習ったんじゃないでしょうか?
エネルギ=質量×光速(定数)の2乗
ということは、
質量が大きいこと=エネルギーが大きいということ
でも本当にそれだけでしょうか?
例えば、ドラムの音量を上げる(エネルギーを上げる)には、
スティックの重さを変えることは確かに役に立ちます
重ければ重いほど、大きな音量(エネルギー)が出ます
しかし、そこにスピードを加えるとさらに
音量は変化します
ゆっくり叩けば、柔らかい弱い音ですが
同じ高さから下ろしたとしても
スピードを速くすると大きな鋭い音がします
実は、この C というのは
セレリティー(Celelity:機敏さ)の略
つまり速度の略なんですって
速度が速ければエネルギーも大きいということ?
だとすれば、感覚的にそれは理解できます
さて
ご存知かもしれませんが
アインシュタインが自分の娘さんに
残した手紙があります
以下、全文を、『Tulsiの森』というサイトより引用します(感謝)
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
「私が相対性理論を提案したとき、ごく少数の者しか私を理解しなかったが、
私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、
世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。
必要に応じて何年でも何十年でも、
私が下に説明することを社会が受け容れられるほど進歩するまで、
お前にこの手紙を守ってもらいたい。
現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、
ある極めて強力な力がある。
それは他のすべてを含みかつ支配する力であり、
宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、
しかも私たちによってまだ特定されていない。
この宇宙的な力は愛だ。
科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、
彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。
愛は光だ。
それは愛を与えかつ受け取る者を啓発する。
愛は引力だ。
なぜならある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。
愛は力だ。
なぜならそれは私たちが持つ最善のものを増殖させ、
人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。
愛は展開し、開示する。
愛のために私たちは生き、また死ぬ。
愛は神であり、神は愛だ。
この力はあらゆるものを説明し、生命に意味を与える。
これこそが私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。
それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを 学んでいない
宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、
私たちが愛を恐れているからだろう。
愛に視認性を与えるため、私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。
「E = mc2」の代わりに、私たちは次のことを承認する。
世界を癒すエネルギーは、
Cの2乗で増殖する『愛』によって獲得することができ、
愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った、と。
私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に人類が失敗した今、
私たちが他の種類のエネルギーで自分たちを養うのは急を要する。
もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、
もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、
もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、
愛こそが唯一のその答えだ。
恐らく私たちにはまだ、
この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を完全に破壊できる強力な装置、
愛の爆弾を作る準備はできていない。
しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、
しかし強力な愛の発電機をもっており、
そのエネルギーは解放されるのを待っている。
私たちがこの宇宙的エネルギーを与えかつ受け取ることを学ぶとき、
愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、
愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。
なぜなら愛こそが生命の神髄(クイントエッセンス)だからだ。
私は自分のハートの中にあるものを表現できなかったことを深く悔やんでおり、
それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。
恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、
私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに到達したことを、
お前に告げる必要があるのだ」
お前の父親
アルベルト・アインシュタイン
社会を変えるために必要なのは、
違いがあることを認め
みんなそれぞれできることが違う
ということを許し
助け合う社会なのかなと感じます
そしてできることも
個性も考え方も
全て違っていて
でも価値はみんな等価であると
知っていることなのかな、と思います
たとえば、お金を稼ぐ人だけが尊いのではなく
家で無償で働く人も同等に価値があり、尊い。
貢献してないように見える子供も同等に価値があり、尊い
子供から学ぶことはたくさんあります
さてここで愛を灯す時に問題になることが
2つあると思います
1つは、誰かが裏で何かやっているという
『疑い』
正しい、間違っているという気持ちや
批判など『裁く』気持ち
ディスクロジャーしていくのは
いいと思うんです
全部オープンになっていないと
隠し事がある人を信じられないしね。
で、それらがオープンになってきた時
みんなそれぞれの視点で『よかれ』と思うことを
価値観は違えど
すでにやっているということを
認め合う時が
きているのだと思うんですよね
2つ目は、自分で自分を
『認める』ことができない
ということなのかなと思います
自分がダメと思うと
誰かに認めて欲しくなる
そうするとずっと苦しいですよね
自分で自分を認め、許していくと
誰かから承認を『もらう』ことなしに
自分の内側が満ちていきます
私も含め
みんな『批判』を終わりし
『自分を許し自分で認める』が
今の時代のテーマなのかもしれません
許しあうこと
愛し合うこと
できます
だって、世界中のすべての存在の本質は
神聖なる
1つの存在ですものね
日本が何かやることがあるとするなら
そんな役割なのかもしれないなとふと思いました
自分を許せず、認めず
人を疑い、批判するということが
あまりに多いということは
その反対に大きく振る前触れということですものね!
こんな感じのことを私はふと考えておりました
あなたの意見もお聞かせください
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