見えるもの、見えないもの、両方が見えて初めて本当のことがわかる

今日も降りてきた気づきをシェアしますね
『目に見えるもの、見えないもの、
両方が見えて初めて
”本当のこと”がわかる』
言葉の解説をする前に
ちょっとだけ補足させてください
降りてくる気づきは
『言葉』で降りてくるのではなく
気づきとして
『印象やエネルギー』で降りてきています
それを言語化しています
そのため、言語化するときに
私というフィルターを通ります
だから、それは
真実の一側面です
もし、ピンとくる部分があったら
その奥にある
「あなたなりの真実」
をキャッチしてもらえたら嬉しいです。
● 見えるもの、見えないものの両方を見るということ
これは「スピリチュアル」と「現実」、
あるいは「内面」と「外側」の両方を見る、
ということでもあります。
料理に例えてみましょう
非常に美味しいレストンランがあったとします
その味に感動して、レシピをまねてみたけど
「あれ? なんか違う…」
ってこと、ありませんか?
実はそこには、レシピに書かれていない
・包丁の研ぎ方
・仕込みのちょっとした気配り
といった、目に見えない工夫があります
さらには、
食材への感謝の心や、
食べる人への思いが込められているから
物質の波動が変わって
美味しく感じられる
ということもあります
これ、私たちの生き方にも通じていると私は思っています
スピリチュアルな学びをしているわたしたちは、
「波動を整えること」や
「心のあり方」ばかりに意識が向いて、
現実の行動や暮らし方がおろそかになっていることがあります
たとえば
-
心は清らか。でもいつもお金に困っている
-
波動を整えることは大事にしてるけど、部屋がごちゃごちゃしている
-
自分を大切にしようとして、他人との約束がおろそかになる
一方で、リアリストの方で、
スピリチュアルを全く無視していると
-
お金はある。社会的な成功も手にしている
だけど、家族とは疎遠で、心はいつもどこか寂しい…
これからは、どちらもみていくことが
重要な時代に入ってきました
これら、全てを見通せる
あるがままを見る目を養いたいですね
でも、ほとんどの人は
どちらかに偏っています
● 両方が見えて、初めて
“まるごとのしあわせ”がやってくる
どちらか一方では、
バランスを崩してしまう時代になってきました。
人を判断や、ジャッジする考え方は
もう終わりにした方がいいと私は思っていますが
今までの風習として
私たちは学歴や職業、
持っているものの“表面的なスペック”で
人を判断しがちです
でもそれでは、
ほんとうのその人は見えません。
どんな仕事にも意味があり、
どんな人にもその人だけの役割があります
私たちは、
それぞれが“必要なピース”として
共に生きている宇宙の一部
悪役がいなければ
ヒーローもいない
んです
みんなただの『役割』を
演じている
神様たちなのです
これからの時代は、
目に見えること(現実)と、
見えないこと(心や意識)をどちらも大切にすること
でもここで「見えるものも大事」と言うと、
「じゃあやっぱり、ちゃんとしないとダメなんだ」
と思ってしまう人もいるかもしれません。
いいえ!
それによって自分を追い込むのは
違いますからね!!
それもジャッジです♪
まず、自分自身がリラックスして
本当の意味でしあわせであること。
これが何よりも大事♪
「我慢するのが美徳」
「お金がないのは清貧で美しい」
「自分さえ我慢すればうまくいく」
こうした“刷り込まれてきた価値観”を、
そろそろ私たちは手放していってもいい頃じゃないでしょうか
一人ひとりが、
-
その人の正解
-
その人の好きなやり方
-
その人の選んだもの
を、自分にも他人にも許せたら
その意識が社会全体に広がっていって、
世界が変わっていくと思うんです。
まずは、自分に欠けている視点を
意識してみること!
美しさを追求しているけど
外見のことしか気にしていなかったなら
その奥にある美しさも持っている人を
参考にしてもいい
社会的な成功をしたいけど
やり方や、お金持ちになることばかりに
意識が向いている人は
本当のお金持ちで心も満たされてる人の
心のあり方を研究してみるのもいい
そういう
もう一つの視点を持つことで
まずは、あなたから、
全体性の社会へと
シフトしていくことになります
社会がより住みやすくなっていくといいなと
願っています!
みんなが豊かで自由で幸せでありますよう✨
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